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コラム 61 | 笑い梅 |
コラム 62 | お米の詩人 |
コラム 63 | 昭和の味・・・琥珀の水飴 |
コラム 64 | What a wonderful world |
コラム 65 | 日本人のマナー |
コラム 66 | 落ち椿 |
コラム 67 | 人の流れ |
コラム 68 | 桃の節句 |
コラム 69 | ピカピカの一年生 |
コラム 70 | 丸花蜂 |
里主コラム 1~10 | 51~60 | 101~110 | 141~150 | 191~200 |
里主コラム 11~20 | 61~70 | 111~120 | 151~160 | 200~211 |
里主コラム 21~30 | 71~80 | 121~120 | 161~170 | |
里主コラム 31~40 | 81~90 | 121~130 | 171~180 | |
里主コラム 41~50 | 91~100 | 131~140 | 181~190 |
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笑い梅
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旧正の五日(新暦2月4日)は立春、数日の季節外れの陽気に梅林で気の早い白梅が咲き、小川のせせらぎに水嵩待ちのセリが力を蓄え、鶯の声もしっかして、盛んに梢から枝に飛び渡って、寒椿から梅花へ早く咲くように急かせています。でも寒の寒さは今が本番、四国に思わぬ積雪が有り、自然は春を行ったり来たり、季節を楽しんでいるようで、ここ一週間寒気の居座りで身震いです。寒さに嘆く人様は時計の針の様に後戻りできない癖があって、少しでも春めくと秒針を先送りして後日の寒さに竦んでいます。その点、梅(自然)は咲き出す者から順に、一輪又一輪と咲かせて、寒の戻りは花の寿命を長く保つことができるのでむしろ喜びとし、メジロや鶯を独り占めにして受粉を決め込んで、笑顔の梅花に思えます。
和菓子屋さんに行くと可愛い梅色に三ヶ月のお口をつけて今時を表現された練餡がありますが、将に「笑い梅」そのものです。お茶を点て、ほのかに香る梅の香とお抹茶の香が程よく、凛と張り詰めた寒の空気感の中で「笑い梅」の和菓子の甘味とお抹茶の味が心を豊かにしてくれます。
野鳥も植物も自然のすべてが寒暖の差を楽しんでいますが、人は景気不景気に一喜一憂し、季節の往来まで腐心します。楽しむ心を持ち合わせると好日になります。
寒中に時々、和服姿の女性をお見受けしますが、昔、中国の呉の国から伝来した呉服は日本人の手にかかると工夫されて和服となり日本の気候風土と日本人の体型に合わせて、人と自然が歩調を合わせた着物文化として生まれかわりました。
「笑い梅」の時節、アウトドアライフを楽しむのにダウンコートでなく着物で出かけるのも心が暖かくなる所作の一つではないでしょうか。
現代人は着付けができないのが常識なので奇(着)人変人の方の喜びかもしれませんが。 -
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お米の詩人
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冬山での落葉集めは少しの常緑樹と間隙を縫って岩肌が露出して、他は限りない落葉樹の森林で満たされている神々が囁く山です。時々の小鳥の鳴き声と、寒風が山肌をゆすり梢がざわめいて、何もない人気の中で、無心になっての単純労働です。
山仕事も楽しいものですよ。
今時の山は人の目には一年のうちでも一番殺風景な季節かも知れませんが、木々や動物達はしっかりと春支度を整えてその時を待っています。
そこに割り込んで落葉を拝借するのですから少し「自然」様に気が引ける所です。
日長、山中にこもり落葉掻きをしているので勢い楽しみは昼時となります。
何気ない其れも座り心地の良くない岩床に腰を据えて、灌木の隙間から僅かに覗く眼下の集落を見ながら、圧倒する森林の精と同居する心地よさはまた格別です。
ひとときの食事と休憩を森のリズムで歩調を合わせる至福の時間となります。
数百年を生きている樹木や一年目の冬を迎え戸惑う若木、これからこの地で数百年を生きるであろうドングリ、鮮やかな紅色が殺風景な森にアクセントを添える寒椿、それぞれが悠久の時をへて今を語りかけてくれます。
こんな冬山で聞きたい唯一人様の音色は「ピアノの詩人」加古隆氏の澄んだピアノの旋律です。彼の言葉を借りれば「ピアノの音は樹のひびき」「心のなかに染みこんでくる音」です。シンプルにして心に響く彼の音楽は疲れた体を癒やし、山の自然に調和して寒空までが共鳴して広がります。
お米にこだわり、自然に逆らわずに土作りから稲を育て上げて、究極の味即ち本来お米の持つ自然の味を引き出すことを目標にしている者にとって、加古隆氏の音楽は私流に置き換えるならば「お米の詩人」です。
熱った体が冷めないうちに米味が一番美味しく頂けるおにぎりを頬ばり、「神々への道」を心で聞き終えてから、さて夕刻までひと頑張り、恵みを頂く山々の自然に感謝して、一年後には極上の稲(お米)の腐葉土堆肥となる落葉を集めます。
仕事を終えて心地よい疲労感で夕闇迫る山路を下りながら「神々への道」を心で奏でながら家路に向う喜びはシンフォニーホールで聞く音色とは又一味違った世界感が有ります。 -
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昭和の味・・・琥珀の水飴
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戦後、村の神社は神聖な場所であり、また大人は村祭りや寄り合い(会合)など何事につけて利用し、子供たちは格好の遊び場となっていました。
懐かしい味ってどこか日本人の郷愁をそそる不思議な感覚が有ります。
杉、檜、松、楠、などの木々が鬱蒼とし、中でも木の実は子供たちのおやつ代わりに欠かせず、椋はムクドリが食べる前の青いうちに採って擦りぬか(お米の殻)に2週間ほど寝かしてワイン色に熟してから頂き、槙の実は赤く熟したものから選んで採り、又ヨノミの実は小さいので濃いオレンジ色に熟したものが沢山ある枝から折って頂きました。
神社の裏手は昼まだ暗く、子供たちは怖がって寄り付きませんでした。それと言うのも大人から「鬼がいるから」と言われていたため恐怖心を持っていました。(今思うと危険防止)
もう一つの楽しみは紙芝居、決まってオジさんが黒塗り自転車でやって来て、荷台に水飴を入れた箱と上蓋に紙芝居のセット、琥珀色の水飴(米飴)を三本の箸に絡めて売っていて値段は5円(途中から10円に値上がり)、子供たちにひと通り売ってから紙芝居の始まりです。小さい子供から前にしゃがんで紙芝居をみながら頂くのです。今から思えば現在の甘い食べ物から比べるとまろやかな甘さで人工甘味料や防腐剤はたまた着色剤などは一切入っておらずお菓子の健康食品といった所です。
何しろ物のない時代に甘いものは子供にとって貴重なお菓子、子供の多い家では誰かが買ってそれを兄弟で頂くのです。小さい子は水飴2本の間に1本をS字にこね回すのに苦労し、柔らかくするのは年長者の決まりごとで適当に空気が入った所で渡してあげました。
戦後のテレビが普及するまでの十数年間の懐かしい思い出です。
その味が忘れられず、昨年より弊里でその水飴(米飴)を復刻して販売を始めました。弊里の無農薬のお米と麦芽のみで仕上げた自然の味、但し水分は紙芝居のオジさんのように飛ばさず、食卓で使いやすい様に原料そのままの水分で瓶詰めしています。当時の懐かしい味を再確認されたい方や健康に気をつけておられる方、又お若い方はまろやかな自然の風味を楽しみ頂ければと思っています。
昭和の有名な映画評論家、淀川長治の映画の後の「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」ではないですが「イイね、イイね、イイね」と自画自賛したいほど自然の味はいいですね。 -
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What a wonderful world
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この世で一曲だけ好きな歌を選びなさいと言われたら、私は躊躇なくLouis ArmstrongのWhat a wonderful worldと答えます。
今年もインフルエンザが大流行しましたが、私は30年ほど前にインフルエンザにかかり、2日半の昏睡状態から一命を取り留め、目を覚まして数日後に病室から外を眺めると、全て何もかもが輝いて見えました。丁度この曲の歌詞の通り「この素晴らしき世界」です。
作詞George David Weiss作曲George Douglasで1968年のヒットソングです。
人生は山あり谷あり、どちらかといえば良日が少ないものです。そんな時に口ずさんで心を広く持って次日に備えることを心がけています。
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皆様も一つは心に響く楽曲を持たれてはいかがでしょうか。 きっと良き人生の伴侶になること請け合いです。
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日本人のマナー
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明治初頭において、西洋の近代化を学ぶべく日本の使節団が洋行した際、日本人の礼儀正しい態度と品位品格に、貧しい国ではあったが各国は対等にもてなし尊敬されました。日本人のマナーとカタチがそこにあったからではないでしょうか。
富士山がゴミの山と化して世界遺産にならず文化遺産ならと世界から笑われ、四国の山も同様で目に余るものが有ります。恐らく日本国中が同じ光景ではないでしようか。
空き缶、ペットボトルを始め大型粗大ごみに至るまで投げ捨ててあります。
美しい海山河は泣いています。山河に限らず都市や村など至る所です。
山河の不法投棄は巡り巡って水道水に使用され、水の中に有害物資を含む汚染水が混入して健康を害する原因にもなります。
今必要なのはマナーを幼少時より家庭内から身につけさすことを徹底することです。
勿論、学校教育の場では常々教育していますが子供は大人を観て育ちます。その前に先ず大人から襟を正すことが肝要で、これは法律で厳罰に処するしかありません。
美しい国土を取り戻すことを国民共通の価値と出来ないものでしょうか。
翻って戦後は貧しい耐乏生活で物はなくポイ捨てゴミは皆無、少し豊かになって物が家庭から溢れ出した頃が始まりでしょうか。また自動販売機が発明されペットボトルや空き缶、タバコのポイ捨てが顕著になりました。
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同じ事が食事のマナーについても言えます。
レストラン等外食での食べ残しは1/3にもなるとか。恐らくご家庭でも似たり寄ったりではないでしょうか。大変無駄な消費です。飢餓に苦しむ国家が多数あるのに・・・
欲しい分量だけ注文すればいいのになぜ出来ないのでしょうか。
生ごみを昔は堆肥にしていましたが現在は焼却処分、そのためポリ袋に入れて回収車にお願いしていますが、それを狙ってカラスが啄み、廃棄量が増えるに従いカラスの数も増加し気持ちが悪いほどの鳴き声が街中に聞こえています。
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成熟した日本、もういい加減に大人の生き方をしてはいかがでしょうか。
そう願うのは私だけでしょうか。
恥ずかしくない紳士な国として尊敬される国家国民になりたいものです。 -
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落ち椿
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文字通り春を呼ぶ椿も桜の季節になるときれいな花そのままで「ぽとり」と落ちる。
冬山に分け入って落ち葉集めをする時節の終わりを告げる花でも有ります。
我々は山に自生するやぶ椿を常々目にして暮らしていますが、日本原産のツバキは品種改良されて今では二千種を超えるとか、メジロやヒヨドリに蜜を与える代わりに受粉を手伝ってもらっている鳥媒花、兆しもなく花が落ち、谷の渓流に乗って流される様は言いようもなく美しく儚さを秘めています。
芭蕉も椿の花の落ちる瞬間を詠んでいます。
「落ちざまに水こぼしけり花椿」
丁度お彼岸を迎える頃、山には虫達が飛び始め我々に大敵のブヨの仲間が出ます。
これにあちこちと刺されて痛痒くなり作業(落葉かき)も捗りません。
勿論、沢山の動植物が活動を始める時期でもあり、領域を侵さないためにも椿の花が落ち終わる当節が入山の区切りとして落ち葉集めを終わり、いよいよ田仕事の始まりです。 -
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人の流れ
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四国徳島の駅前一等地が駐車場になり、アーケード繁華街が錆びター街になり、いったい人はどこに行ったのだろう・・・と思うと、総合病院はどこも満員、専門病院もこれ又押すな押すなの大盛況ぶり、平均余命の十年前後までは未病率が高いが、その後は病院にお世話になるのが大半の方の人生、特に地方は高齢化率が高く、それが顕著に現れています。
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そのことは国家予算の社会保障費にも現れていて毎年1兆円程が増額され、其れも増える傾向にあります。1千兆円を超える借金太国の主たる要因は票田集めのお手盛りですが、特に社会保障費によるものがかなりの比重を占めています。
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方や首都東京には若者が集中してギュウギュウ詰めの暮らし、未婚者が増加し、結婚し出産しても託児所不足は深刻で、保育所も入れないと嘆くお母さん方、もう少しバランスのとれた政策は出来ないものかと思わず首を捻ります。
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食料品においてもその傾向が出ており、健康に良いもの、安全安心なもの、そして少量化個食対応が進んでいます。スーパーでお買い物をどっさり買うのは過去の風景、減少する客足を少しでも食い止めようとスーパー間の熾烈な競争はコンビニや専門量販店相まみえながら消耗戦と化しています。他方無店舗販売は大変な勢いで急成長、ネットによる発注で宅急便が指定時刻に自宅まで届けて頂ける便利さで、重い物や大きい物は特に重宝します。また、こだわり品、希少品など自分好みの商品は特にネット社会では優れて有効で、お目当ての商品を簡単に発注出来て暮らしの満足度を高めてくれます。これも人の流れが替わった風景です。 成熟化社会に入って久しくなった日本、ますます多様化が進み個性化が人の流れの本流になると予見しています 。
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桃の節句
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旧暦弥生三日(新暦4月2日)は桃の節句、弥生はいやおい(弥)つまり、ますますとか遍く満ちることを意味しており、春爛漫で鳥や植物が活発に動き、冬鳥は北に帰り南方よりつばめがやって来る時節です。
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桜が咲き終わり桃の花が咲く当節は女性(子供)が主役、着飾り、元気に育つように邪気を払う身代わりの雛人形を立てて、ひな壇の前で家族や親戚、ご近所の方々と昔は白酒を酌み交わし、今では白酒の代わりに甘酒を振る舞ってお祝いをします。
昭和30年代まではこども達は遊山箱(お重3段)に寒天、お煮しめ、巻き寿司をお母さんに作ってもらって、野に出て花木の下で日長遊んで楽しむ風情が有りました。今では観られなくなって少し寂し思いがしますが・・・。
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桃は月と女性性を司る女神、蘇る力を与えてくれる仙果であり、宇宙を表す生命樹、兆すに木と書くように象形文字の裂け目を表記して前触れをあらわして、良き未来を得るためにも予兆を見逃さず眺める(兆しに目と書く)事が大切な時期でもあります。
農作物を作る職業柄、特に自然界の微細な変化に注視して対応を怠らなくすることが、元気な稲を作り育て、美味しくて品質の良いお米の豊作をもたらしてくれる要諦です。
この時期は籾蒔きをして苗床を作るシーズンですが、自然界のシグナルを見逃してはうまく行きません。単に気象学のデーターだけでなく五感を全開して直感や予感を大切にします。毎年毎年ピタリと当たる事は稀で、むしろ現代人は五感がますます削ぎ落とされて所謂カンピューターが作動しません。そのため「してやったり」と思った年が年々少なくなって豊穣がままならないのが現代の農業です。最近では温度や湿度土壌管理などをコンピューターに頼る傾向に有りますが、まずもってうまく行かない様です。其れは自然界のシグナルをキャッチする予知能力が欠如しているからに他ならないからです。
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ピカピカの一年生
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4月上旬は学生の入学式、何もかも新しく希望に胸を膨らませて学業に入る季節です。
人生に悔いなきよう自分の長所を生かして自分らしく一度の人生を精一杯全うして頂きたいと願うばかりです。 -
稲も一生の始まりがこの時節です。今、早生品種の稲が苗代で芽を出してしっかりと伸びて順調に育っている所です。人生は約80年から100年ほどですが、稲は僅か1年、其れも約5ヶ月で一生を終えます。稲作農家はその僅かな時間を精一杯伸びやかに育てて豊穣を願い、その年の気候具合を見定めながら実りの秋を迎えるまで日々微調整を繰り返します。年々歳々気候が異なり完璧に納得出来る年は皆無です。自然を読み解くことは不可能で及第点を頂く年を「了」としなければなりません。事ほど左様に稲づくりは難しいものです。晩秋の土作りから始まり腐葉土の出来具合やその施肥量、海藻や備長炭の加減、苗代管理から田植え時の調整、圃場毎の水加減や除草作業、厄介な台風シーズン対策(と言っても天に任せるより他ありませんが)稲刈り時期、天日乾燥の具合や貯蔵の方法、などなど一年を通して様々な仕事を重層的にこなしながら複雑に紡いでゆかねば豊作で且つおいしいお米に巡りあうことはありません。ましてや、化学肥料に頼り、除草剤をたっぷり施して圃場の微生物まで一網打尽にして死んだ土で栽培し、田植えと稲刈り時だけ性急に機械化で済ませる手抜きの省力化では良いお米に巡りあうことは先ずありえないこと必然です。
人生においては学業環境が第一であるのと同じように、稲作も圃場環境が第一です。
沢山の微生物が住処とする生きた土と食物連鎖による昆虫を始め小鮒やメダカ、ゲンゴロウから野鳥類(昨年はコウノトリも)まで活き活きと暮らせる圃場環境をもって初めて稲作をする環境が整うわけで、この為に落ち葉集めや腐葉土堆肥を一年を掛けじっくりと作ることをいとわないのも全て自然循環を壊さないように努力しているからに他ありません。 -
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今年新入生として小学1年生になられたお子様たちが大学を卒業されるのは2030年です。その頃、世界はどのように変わっていることでしょう。
その日を楽しみに2014年産の「なかがわ野菊の里の各ブランド米」の作付が始まった所です。
グローバルな世界が広がり、世界中を飛び回るビジネスマンは一般的で、住まいも世界のあちこちに持っていて時節や仕事、ライフスタイルに合わせて居場所を変える暮らし方が普通になっているかもしれません。少なくとも国の概念が今よりずっと広くなっているか垣根がグンと低くなっていることでしょう。
そして日本産の「こだわったお米」は翌日には世界中に配達されて日本人を始め世界の人々から主食の絶品として賞賛されていることと思います。 -
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丸花蜂
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丸っこく愛らしい蜂が菜種におしりを振りながらブンブン、この季節からミツバチより小振りで肥満型のマルハナバチが飛びかい可愛い姿を見せますが、昔よりはグンと数が減って心配しています。人に危害を与えることはなく、むしろ興味深く我々に近づいては又花に戻り蜜を吸います。なんとなく愛嬌たっぷりで憎めない、植物の受粉に一役買っている大切な小動物ですが、ほとんどの方は存在を知らないと思います。
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ミツバチも最近めっきり減少し、専門家の間では1/4までにもなったとか、このままだと受粉ができなくなって絶滅する植物が多発するのではないかと案じています。
春の花が一斉に咲きマルハナバチも大忙し、我々も田植えに大忙し、孫達も陽気に誘われてお花畑で遊びに興じ大忙し、往来に行き交う人も春の粧でこれ又大忙しとこの時期は賑やかそのものですが、方や環境の変化で弱者は地球上から次々と姿を消し、食物連鎖の頂点に立つ人間に大きな試練が差し迫ろうとしていることをマルハナバチを通しても考えさせられます。 -
ICPP(国連気候変動に関する政府間パネル)で第二作業部会が3月に日本で、第三作業部会が4月にはドイツで開催されました。其れによると「現在すでに温暖化の影響が広範囲に観測されていることが示されている」「地球温暖化が広範囲に観測され、気候の変動性に対する生態系や人間システムの著しい脆弱性や曝露を明らかにしている。」「将来に関しては、温暖化の進行がより早く、大きくなると、適応の限界を超える可能性がある。」と第五次評価報告書において警告しています。
地球に住むすべての人々は、取り返しのつかない地球環境に至らないためにも、温暖化防止のライフスタイルを自分にできることから今すぐに始めませんか。
例えば至近距離は歩き、中間距離は自転車で、そして化石燃料を出来るだけ使わない心がけを・・・、私は其れを実践しています。(5㎞以内は自転車です。) -